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2005.4.17

 27年前の昭和53年(1978年)、日中友好条約が北京において調印された。
これは日本列島改造論を引っ下げて、登場した田中総理が直接中国に乗り込んで、決断した歴史的な快挙である。

 以来、ギクシャクしながらも日中両国は民間交流・経済交流を続けて、発展し今日に至っている。

 この日中関係にリーダーシップを発揮してきたのが田中派(現橋本派)であり、これに対し、台湾との関係を重視してきたのが福田派(現森派)である。

 このように、三角大福中と言われた5派閥の時代には、同じ自民党の屋根の下にあっても、それぞれ派閥の政策目標や手法に違いがあり、特色があった。

 一例をあげれば、三木派は清潔な政治・クリーンなイメージを大切にしてきたし、大平派は池田首相以来の官僚的なエリート政策集団と言われてきた。
 田中派は砂防会館に事務所があったように、公共工事、建設関係に強く関わっていた。
 中曽根派はタカ派的な色彩が強いが、一面風見鶏と揶揄されたように、いつも主流派・体制派について良いポストに着いていたというわけである。

 本題は福田派である。福田首相は官僚出身ではあるが、男気のある骨っぽい人だった。
第二次世界大戦で日本が敗れた時、アメリカ・イギリス・ソ連などの先勝国が日本の統治をどうするかとテーブルについた時、ソ連はドイツのように日本を南北に分断して、北を共産圏に渡せ!と迫った。
 これに対し、中華民国(台湾)の将介石氏が、日本は分断してはならないと主張し、アメリカと同一歩調を取ったということに共感して、親密感を持っていたので、台湾との友好関係を深めるに至ったと言われている。
 このように、諸外国との親善や友好に関しては、昔の言葉で言えば「持ち場・持ち場」で、その派閥の特色を生かし、日本の外交に役立ててきたのだ。

 ところで、小泉総理は福田首相を師と仰ぎ、その政治手法を引き継いだ一人であり、この福田派の路線を少なからず踏襲して、台湾には理解を示しても、中国(共産党)には冷静と言うか、一線を画していると言っても過言ではない。
 総理就任以来、一回も中国を訪問していないことも今回の反日デモについて無関係ではないと言えるのではないか。

 現在の衆議院選挙の小選挙区制を導入する時、派閥はいらなくなると派閥の解消を約束していた。
 たしかに派閥の力は低下して、従来の求心力を失っているが、それでも存続されているのは、大臣などの役職の分配・ポスト目当てだけの機能になっているように国民には見える。

 これも小泉総理の派閥を無視しての適材・適所の一本釣りではこの派閥の意味もなくなっていると言える。
 派閥派も本当に派閥が必要なら、先述したように国家・国民のために役立つ派閥に体質改善をして欲しいと思う。

 今の政治は、安全保障・貿易・食糧問題はもとより、内政問題においても国内だけで決定できることは少なく、国際政治を抜きにして考えられないと言っても過言ではない。

 とするならば、国会議員の先生方は日本の国益をいかに守るか、日本の文化や日本人の考え方を世界の人々にどのように理解してもらうかの、外交官のような立場となって、親善交流の実をあげて欲しいと思うのですが、いかがでしょうか。

秋 鹿  博