2004.6.1

 今回、国民年金の改正案をめぐって国会議員の未払いが発覚し、出るわ出るわ、次から次へと大物政治家の未納が明るみに出て、とうとう小泉首相までがその対象になってしまいました。おかげで、国民の生活に欠くことの出来ない年金の中味の論議が、吹っ飛んでしまったことは、悲しむべきことだと思います。
 なぜなら、近く行われる参議院選を有利にしようという党利党略が見え見えで、審議拒否やボイコット戦術を指摘して、国会の使命を果たしていないからです。
 従って、将来の年金のあり方や、今回提案されている内容について、国民の知る権利を奪ってしまったことは、極めて重大な責任と言わざるを得ません。
 この件で国会に対する国民の不信を増大したばかりでなく、国会議員の品位とレベルを著しく下げ、民主主義の根幹を揺しかねない問題となってしまったからです。
 中でも、菅さんは、閣僚を「未納三兄弟」と掫揄していながら、本人自らも同類項であったなんて、一国の先行きを担う国会議員として恥ずかしことだと思います。
 しかし、一方で私は、菅さんは本当に自分の未納について知らなかったのではないかと思います。そうでなければ、あれだけのパフォーマンスを演ずることは到底出来ません。
 つまり、国会議員の先生方が掛け金が惜しくて払わなかったのではなく、「払うことは国民の義務である」という認識が欠如していたのであって、「法律を良く理解していなかった」と言うのが真相ではないでしょうか。
 ここで、私が敢えて「民主主義の根幹を揺がしかねない」と大げさな表現をしてのは、
ひょっとして他の法律についても充分検討されないまま、国会対策という駆け引きによって法案を通してきたのではないか、という疑問を持たざるを得ません。
 この意味では皮肉にも菅さんが、国会の実態を露呈した功労者であると言えるのかも知れません。一国の先行きを担う国会議員は、もっと真剣に考慮した上で取り組んで欲しいと思います。

 かつて、介護保険の導入の際、私は同僚の県会議員と共にドイツに調査に行きました。
ドイツで大変参考になったのは、社会保険・雇用保険・健康保険、そして介護保険など、すべての制度を視野に入れて、国民負担率を所得の50%を上回らないという枠を設けていました。
 介護保険については、要介護を三段階に分け、負担とサービスのバランスを計り、あくまでも公的制度の不足を補うものであって、すべてではないとの事でした。
 つまり、50%を超えれば負担が重く、納税意識と労働意欲が低下し、経済が停滞することを危惧し、またサービスが過剰となると、公的制度に依存しがちとなり、民間活力が失われるとの説明でした。
 国民年金の場合、一元化は理想ですが、掛け金や給付がスタートから違っているので、困難ではないかと思いますが、ドイツの例のように、社会保障全体の視野で考えるべきだと思います。

 私は、今回の騒動の原因の一つに、‘税金と保険のちがい’が分かりにくく、その手続きや解釈に混乱があるような気がします。
 税金は国民の義務であり、滞納があれば延滞金が付き、悪質な脱税であれば重加算税が付き、犯罪として社会的制裁を受けることになります。
 これに対し、保険は加入しなければ権利が発生せず、選択の幅も広く任意であるという民間保険のイメージが強いような気がします。
 ましてや国会議員は、少額給付の国民年金なんかをアテにしなくても良い身分の方々ばかりですから、ついついうっかりしたというのが実態ではないでしょうか。
 このミスをなくすことと、国民の相互扶助という本質を考えれば、国民年金税と名称も替え、対象者は全員加入し、納めてもらうことを徹底した法律にすべきと考えるのは私だけでしょうか。