「美しい自然は私たちの心の中にある」
2005.07.06

 先日、トレッキングの仲間の皆さんと北アルプスの白馬岳の麓、「栂池自然園」を訪れた。

 早朝5時に出発し、約5時間バスに揺られて、と聞いた時は正直余り気が進まなかった。

 ところが、梅雨の晴れ間とでも言うのでしょうか、天候に恵まれた上に、高原の遅い春と初夏が一緒になって、山桜と水芭蕉をはじめ、色とりどりの草花が競うように咲き乱れ、天国か極楽浄土へでも来たような美しさに、ただただ感動し、バスの疲れも吹き飛んでしまった。

 この信州小谷村は、長野県の最北端で山を越せば新潟県糸魚川市で、正に秘境の地である。
 人口4千人の小さな村ではあるが、北アルプスの雄大な自然とロケーションをフルに生かしたスポーツリゾート地として名高い。
 冬はスキーで賑わい、春・夏・秋は山岳レジャーと源泉の宝庫として一年を通して観光客が絶えない。
 しかし、最近はスキー客の減少から、むしろ女性や中高年の自然散策やトレッキング客の宣伝に力を入れているそうだ。
 私達が訪れたのも日曜日だった為、ハイカーやウォーカーなど観光客でいっぱいだった。

 何と言っても栂池高原の魅力は、登山駅からゴンドラで約30分、そしてロープウェイに乗り換えて約10分と、車はシャットアウト。
 お花畑のある自然園には他のルートの選択はなく、不便と言えばこの上ない。
 今日の土木技術からすれば、簡単に出来るはずの道路を造らず、この自然を守る姿勢が今日の成功をもたらしたことは間違いない。
 そして、村は振興公社を組織して、レンジャーやインストラクター・学芸員などの森林・自然専門家と村民のボランティアによる知恵と工夫で栂池高原を管理している。

 私は早速、管理事務所を尋ねて、高原を維持するための苦労話をお伺いした。
登山者や観光客のモラルは良いが、少しでも努力を怠れば荒れてしまう。
 
 それは、大自然には「おきて」があり、その猛威との戦いは想像に絶する。
一度人が山に入ったら、最後まで人為力な努力をしなければならないと言っていた。
私は話を聞きながら、富士山の現状と比較しながら心を新たにしていた。

 富士山は余りにも恵まれ、便利になり過ぎている。不便や苦労をしなければ自然の尊さも価値も解らないのではないか。
 栂池公園は、「栂池の自然を愛し、大切にする」ことを理解して来場してもらうために努力し取り組んでいるから、理解した人たちで賑わうのだ。

 私は観光協会のキャッチフレーズを、「富士山のある町」から「富士山を仰ぐ町」にしようと提唱した。

 霊峰富士を聖地として仰ぎ、富士山の懐に抱かれ、四季の自然に癒しの心をもって親しむ人が多ければ、「富士山はゴミの山」と酷評されることもなくなり、世界遺産に登録されることは必然であると考えたからだ。

 なぜなら富士山は日本人の心のふるさとであり、世界の人々の憧れの山であり、すでに世界遺産の資格も実力もある。
 たまたま心ない人々のモラルの低下による現象を招いているに過ぎない。

 その意味で、そろそろ富士山クリーン作戦の戦略を見直し、徹底した「捨てさせない」「元から正す」運動が必要ではないか、美しい自然は私たちのモラルにあり、心の中にあると考えながら栂池公園から帰路の旅についた。

                                  秋鹿 博