「道具とは使うもの」
2005.06.09

 私たち子供の頃は、鉛筆を削る為、みんな筆入れ箱にナイフが入っていました。
私もヒモの付いたスポーツマンナイフを愛用していて、ズボンのベルトから下げていました。もちろん学校へも持って行きましたし、先生から特別の注意も受けませんでした。

 何に使ったかって?それは、色んな使い方がありましたね。
鉛筆削りなんか、お茶のこ采々。紙やヒモを切ったり、工作に欠かせない小道具で、本当に便利でした。
山や野原に行くと、チャンバラごっこの木の枝を取ってきたり、竹を取ってきては竹とんぼづくり。ドンドン焼きの時は、だんごをさす三つ又の棒を削ったりしました。
川へ行くと、魚を釣っては腹をさき焼いて食べたりで、毎日がボーイスカウトの様な生活ぶりでした。

 少なくともこのナイフをケンカに使ったり、人を傷つけたりすることに使う等は考えたこともありませんでした。
ナイフはあくまでもナイフという道具として使うことは当然で、道具は使って初めて生かされるのです。人間が創造して創り出したものは、使う方が責任を持つのは当たり前ですよね。

 ところで、最近の学校では「危ない物は持たせない」「持ち込ませない」そうですね。子供達に危険なもの、危害を与えそうな物はできるだけ排除して、安全を守っているそうです。今の社会情勢を考えるとしかたがない一面もあると思います。
 ただ、果たして本当にこれで良いのでしょうか。
 自らの判断と責任で自分を守ることは、子供達が小学生から中学生に成長する過程の中で身につけないと、大人になってからでは身に付かないと思うのです。
学校が社会の縮図ととらえるならば、家庭や地域社会などで、少しずつ道具の使い方を正しく教える機会をつくる事も大切なのではないでしょうか。

 ナイフの使い方も、安全な使い方と危ない使い方を区別する知恵と工夫が必要です。
そうでないと、みんなマニュアルがないと何も出来ない人間になってしまうのではないでしょうか。

 人間の体も全く無菌ではなく、ばい菌が入ってきてもそれと戦い、打ち勝つ免疫状態が健康体を保っているのですね。
ですから、多少のキズや打撲位は経験して、「あぁ、これはこの程度で治るんだー」と、経験を積むことも大切なのではと考えます。
そして、アクシデントに遭遇した時、どうしたら良いか自分で判断することをしっかりと教え、「自分のことは自分でする」ことをしっかり身に付けないと、大人になってから困ると思います。

 いずれにしても、子供達が少しのことではへこたれない「たくましい青少年」になってほしいのです。その為には、「道具に使われるのではなく、道具は使うもの!」と、大人がもっとしっかりして見本を示さなくてはなりません。


                                  秋鹿 博