「富士宮やきそば」
2005.02.07

  この度、「富士宮やきそば」が特許庁から認められ、商標登録を済ませました。

 今や富士宮市は、やきそばの街と言われるぐらい「富士宮やきそば」が有名になり、土・日には観光を兼ねたお客さんが街の中を歩いている姿は、もう当たり前になっています。どうしてこんなに有名になったのか、情報発信が出来たのかを私なりに、その訳(種あかし)をまとめてみました。

その1.リーダー
 行政ではなく、市民が立ち上がった。特に、青年会議所のOB中心にNPO法人「トップランナー」があり、その他に数えきれない程のボランティア団体、とりわけ、カリスマ性のある渡辺英彦理事長のリーダーシップ、魅力と言って良い程リーダーに恵まれたことが最大の要因です。 
その2.ネーミング
 「やきそば」という、どこにもあるありふれた食物に、「学会」といういかめしい権威?を思わせる述語をくっつけて、「やきそば学会」としたことが、マスコミにうけ「なんだそりゃー」と感心を持たせた原因ではないでしょうか。渡辺理事長のテレビ出演は、タレント並みに引っ張りだこで、もう何回出たか数えきれません。
その3.オリジナル
 若者達がワークショップをやって、街の中を歩き観察した時、やけにお好み焼き(やきそば)屋さんが多いにに気付いた。市内には、ざっと150軒位の店があり、市民にすっかり定着した食文化でした。しかも、蒸し麺と言って、弾力性があることと、肉屋さんが豚のラードを取る時に生ずる「肉かす」が味を引きたてています。キャベツの美味しさ、ソースの味などが決め手です。富士宮やきそばのオリジナルな「美味しさ」がなければ、こんなにも有名にはなりません。 
その4.タイミング
 今、全国一律ではなく、地域のアイデンティティが求められています。また、食品の安全性と地産地消(地元で生産したものを地元で消費する)が叫ばれ、「観光ふじのみや」の誘客宣伝とネットワークを図って取り組んでいます。大げさに言えば、「時代のニーズ」にあった大衆的な、だれでも食べられる「やきそば」と言うことが出来ます。特に、時宜が調度良いタイミングでありタイムリーであったことも見逃せません。 
その5.まちづくり  
 富士宮市は、富士山を御神体とする駿河一宮である浅間大社の門前街として発展した町ですが、その浅間大社が現在の場所に出来てから1200年祭を来年迎えようとしています。その為、まちづくりのインフラ整備(道路の拡幅や電線の地中化、大型駐車場)と商店街のイベント(十六市・西の市・神田楽市・つるし雛など)のハード・ソフトの両事業がドッキングして、成果を上げています。

 この盛り上がりが、至る所で「富士宮やきそば」を支える力になっています。

 富士宮市では市民のボランティア活動が活発で、このやきそばに刺激されて、やきそばに続け!と、麺類組合が、朝霧高原でそばを栽培して、そば粉からつくる「朝霧高原そば」に取り組みはじめました。ぜひ一度お立ち寄りいただき、ご賞味下さい!

あきしか 博