突然の姉の死
2004.10.08

 二つ上の姉がこの世を去った。元気で丈夫な人で、健康そのものだったのに。
そんな姉が、くも膜下出血で倒れて、そのまま脳死状態となって二日目の夜、63才と5ヶ月の人生の幕を閉じた。

 子供の頃から曲がったことは大嫌いな性格で、正義感の強い人だった。きれい好きで、仕事の休みの日はせっせと家の片付けをしていた。
 私にとっては本当に頼りになる姉で、何でも本音で相談にのってくれた。
青春時代は地元の青年団活動や、コーラスグループ等の活動のことで、よく議論もした。人生のこと、仕事のこと、恋愛のこと、友情のこと、何でも夜遅くまで語り明かした。
 姉が二十歳頃だったか、夜10時頃帰って来て子供のように泣きじゃくっていたことがあった。何事かと心配して聞いてみると、「野菊の如き君なりき」という純愛映画を見て、悲しくて泣いていたのだった。感受性の強い優しい人だった。
 
 40年前に、私の親戚で隣りの家が新築した際、現在の夫が大工の職人として働きに来て初めて姉と知り合った。昼食や三時の時、お茶を出している間に言葉を交わし、親しくなり、交際した後結婚した。
 夫は落語の世界から飛び出したような男で、人情味豊かな男気のあるサッパリとした明るい性格の人で、そのお陰か、三人の子供は揃って誰からも好かれる快活な人柄に育ち、しかもそれぞれ良い伴侶にも恵まれ、明るい家庭を築き、地域社会にとけ込んでいる。
 その意味では、姉は自らの役割を充分果たして、何の心配もないかに見えるが、一つだけ心配ごとがあった。それは夫の健康がすぐれないからだった。
 夫は建築家として長い間働き続けたが、その間に無理もしたり、ケガもしたりした。
その後遺症で、杖や人の手を借りないと歩けない状態である。おそらく姉は、このことに一番を痛めていたのではないか。

 いずれにしても、最近、人の死と人の一生をこんなに身近に感じたことはない。一時は、この世に神も仏もないと、神仏を恨むような気持ちになったことも事実だ。しかし、よく考え直してみると、形あるものは崩れる、この世に不変のものはない。人の命も、いつ・どのようなことがあるかわからない。
 その瞬間瞬間を、悔いのないように精一杯生きることこそ大切であるという、「諸行無常」の仏教の原点と教えられた思いである。

 悲しみを乗り越えて、姉に感謝し、冥福を心から祈っている。

秋鹿 博