「勝利の女神」
2004.8.27

 アテネオリンピックでの日本選手の活躍はめざましく、連日日本中が燃えに燃えました。それでなくとも今年の夏は猛暑で、本当に厳しい夏でした。そのオリンピックがフィナーレを迎えようとしている時、初秋の涼風と共に選手達の爽やか笑顔が重なって、充実した夏を感謝の気持ちで送りたいと思う。

 “ありがとう感動の夏”。

 それにしても、取りも取ったメダルの数は過去最多のロサンゼルス大会の32個を上回り、史上初の34個(8月26日現在)。内容も、金15・銀9・銅10と比べものにならない成績である。しかも、柔道・水泳・体操などが見事な世代交代によって復権し、日本の名を高々と日の丸と共に掲げてくれたことは、最近の日本社会にとって暗いニュースが多いだけに、全国民を多いに勇気づけたものと喜んでいる一人です。

 それにしても、私にはどうも「勝利の女神」がいるような気がしてならない。この女神に嫌われると、たとえ実力があっても金はおろか、メダルはなかなか取れない。
 例えば、野球やソフトボールでは口を開けば、「金が目標、必ず取ってくる」というように、金がすべてのような関係者の発言が多かった(マスコミがそう報道した)。
 あまり、金・金・金 … とばかり言っていると何故か金が逃げてしまうのかな?と、馬鹿なことを考えてしまう。いや、どうも勝利の女神はむずかしく、謙虚な人が好きなようで、自信満々は嫌いなのかな。

 つまり、「勝って当たり前」のような「おごり」を感じさせると、逃げてしまうクセがあるような気がしてならない。そして、何よりも基本を忠実に原理・原則にのっとって、コツコツやる人を好む。
 そう言えば、女子マラソンの野口みずき選手は、あの暑さと急勾配のアップダウンに応えるだけの練習をして、心も体も充分ついていけるように鍛えていた。でなければ、あの過酷なレースで冷静な判断ができるものではなく、強靱な精神力の勝利である。

 それに比べ、野球では自分たちの方が実力が上だと思っているので、ついつい甘くなって攻撃にミスが多くなる。結果論だが、オーストラリアの同じチームに二回負けたのだから、金が取れないのは当然で、悔やまれるのは、一点リードされた7回一死1塁3塁のチャンスに何も動かず打たせてしまい、三振に打ち取られた場面だ。
 おそらくプロの選手でなければ、当然スクイズでまず同点にしてから、勝ち起しを狙ったであろう。ここに心のスキのようなものがあったと惜しまれる。結論的に言えば、勝利の女神は高いところで見ているのではなく、監督・選手一人ひとりの心の中にいるようだ。

 金を取った選手はインタビューで必ずと言っていいほど、「皆さんのお陰です」と言う。
 私たちから見れば、何と言っても本人の「努力と研鑽」、実力以外にないと思うのだが、リップサービスではなく、本心で「皆さんのお陰です」と思っているから、自分を育ててくれた監督やコーチの顔が浮かび、家族や友人の支援に感謝しているからこそ出る言葉ではないか、だからこそ勝利の女神が頭上に輝いてくれたのではないか。
 
 オリンピックは本当に素晴らしい。人間の限界に挑戦し、新しいドラマを塗り替え、人類の発展に寄与している。そして、人の道・技の道・スポーツの道、いつも何かを教えてくれる。