「自己管理」
2004.5

 先日の清水六中の校長が、サッカーゴールが突風で倒れて男子生徒が死亡した事故の責任を取った形で自殺した事件は、本当に悲惨であり、胸が痛くなる思いです。十通程あった遺書には、「申し訳ない。自分の力が足りなくてこうなってしまった。」と書かれていたといいます。今となっては、池上校長先生のご冥福をお祈りするのみです。
 しかし、この事件を真剣に振り返ってみると、現在の日本社会の危機管理や学校経営の現状と問題点が垣間見るような気がするのは私だけではないと思います。

 なぜ、池上校長が死を選んだのか、責任感からと言ってしまえばそれまでですが、先生を追い込んだ日本独特の社会的問題はなかったのか、先生の死を無駄にしない為にもこの事を分析し考察する必要があると私は思うのです。
 最近の日本の社会では、事件や不祥事が起きると、その原因や背景を冷静に見守る前に、まず、関係者の責任を追及する風潮が強いような気がします。

 マスコミの報道の仕方にも問題があり、世論を反映する鏡が、一方的な論評で世論を扇ぐ事が目に余ります。今回の事件は、だれが考えても突風という不可抗力で防ぎようが無く、管理上の責任があったとは考えられず、おそらく県内のどの学校でも、移動し易い状態となっているのが一般的ではないでしょうか。
事故にあって、命を失った生徒は本当に気の毒で、両親の気持ちを思うと慰めの言葉もありません。
しかし、これから一番大切な事は、「自分の安全は自分で守る」ことであり、危険と思ったら自ら近づかない。絶対安全な場所など無いことを教えるべきではないでしょうか。

 大人は子供の事を思う余り、出来る限り危険な場所を取り除き、事故が起れば、それは管理者の責任である、と自己管理を放棄して、損害賠償などを求めるケースが後を絶ちません。自衛隊のイラク派遣ではありませんが、絶対安全などという場所は、この地球上にそれこそ絶対無いのです。
 戦後、約六十年近くこれと言った動乱も無く平和と繁栄を築いて来た日本社会は、国際的に見れば当たり前ではなく、むしろ奇跡的であり、幸運だったと考えるべきではないでしょうか。
この平和の原点は、アメリカの傘下で新憲法に依るところ大であったと思いますが、一方では大きく時代が移り21世紀に突入し、国際社会における日本の立場と役割が大きく変わった今、憲法改正の議論が必要とは思いますが、その議論の出発は、「自己管理」にある事を自覚したいものです。